あなたの幸せのきっかけになりたい。JYM代表 橋本が会社を作った理由と見据える未来

JYMの代表、橋本陽介。
社会の荒波に揉まれながら、営業に明け暮れた日々。そこで培ってきた圧倒的なコミット力とロジカルシンキングで組織を牽引し、会社を右肩上がりに成長させてきました。
なぜJYMを立ち上げたのか。JYMを通じて何を成し遂げたいのか。橋本が歩んできた道のり、これから見据える未来の姿に迫ります。
20万回のテレアポ、絵画の販売……営業の先に辿り着いた“起業”
−−橋本さんのこれまでのキャリアを教えてください。
長野に生まれ、幼少期から学生時代は県内で過ごし、群馬の大学に進学しました。卒業後はWeb制作会社に営業として入社。もともと営業をやりたくて、早い段階からキャリアの軸にしていきたいと思っていたんです。
−−Web業界に興味があったんですか?
もともとは証券会社を志望していました。当時はSPI(適正検査)があることを理解していなく、対策もしていなかったので、当然落ちる。今思うと何も考えてなくて、愚かだったなって。
最終的に、業界は違うものの「日本の中心で自分を試したい」っていう理由で、都内のWeb制作会社に就職しました。
−−具体的にどんな営業だったんですか?
タウンワークを見て、個人事業主や小規模法人にテレアポし、Webサイトのテンプレートを提案していました。会社にはこんな暗黙のルールがありました。
・1日300件テレアポをする ・アポを取り付けて訪問したら、ハンコをもらうまで帰ってくるな。 ・できる限り1回の商談で。無理なら必ず2回目までに成約させる。
朝9時に出社し、帰宅はてっぺんまわるぐらい。数字目標を達成してなかったので、土曜日はほぼ出社。そんな生活を3年ぐらい続けていたかな。
−−バリバリですね……。
当時は、会社のなかでも圧倒的にテレアポをしていました。一日400件ぐらいしていたので、単純計算すると3年間で20万回ぐらい電話をしたかな。
これが今のインサイドセールス支援の基盤になっています。
−−そこから転職をしようと思ったきっかけは?
それだけ、テレアポ三昧だったので、いいかげん離れたいという本音はありつつ、別の環境で自分の力を試したいという建前で転職しました。
−−2社目はどんな会社へ?
Web制作会社へ、2人目の営業マンとして入りました。でも、入社して早い段階で、もう1人の営業マンがやめる。そのあと、マネージャーもやめる。しまいには担当役員もやめてしまう。
−−……。
そのあと、運良くJYMのボードメンバーであるジョニーが入社してきて。ふっせも入社してきた。今のチームの原型ができたわけです。
−−どんなものを売っていたんですか?
営業チームができて少しずつ機能しはじめると、Web制作が売れ、実績ができていく。社内で「コイツらに任せておけば売れるんじゃないか?」っていう空気ができてきたんです。
Webの教育も売れるんじゃないか? 海外開発もいける? アートはどうだ?(これは、売れなかった)
って感じで、商材をつくって売る仕組みが出来上がっていった。
−−チーム力が増して結果が出て、新しい挑戦もしていったんですね。
最終的に4年間在籍し、複数の部署のマネージャーとして、40人ぐらいの組織をとりまとめていました。当時は、変化が激しく、業務・リソースの偏りもあって、かなり流動性のある状態で。頻繁に人が辞めるけど、入ってくる人も多い。そんな状況で、マネジメントがうまくいかないこともあっと、個としての能力不足を強く感じたんですね。
改めて個としてスキルUPをしたい。自分の視座の低さを磨き直したい。それで、転職を選びました。
−−管理職としてキャリアアップをしていった。そこから次はどんな会社へ?
それまでは他社を支援する側だったので、自社のマーケティングに関わりたかったんですよ。
次の会社は、マーケティング・広報のマネージャーとして入社。戦略策定〜施策実施〜リード獲得〜インサイドセールス〜顧客獲得までの一連の流れを構築し、自社の事業拡大を進めていきました。最終的には、アフィリエイトメディアの担当部長兼バックオフィス部長を務めてました。
−−3社を経験して、今のJYMの礎が築かれてきたと。JYMを設立した理由を教えてください。
最後の企業は、順風満帆だったものの、このまま働き続けるのかなと漠然と思ってました。実家のローンも払わなければいけないし、お金はこれからもっと必要になる。
ジョニーやふっせから、「一緒にやりましょう」って独立の提案もあったんですよね。だったらやろうかな、とJYMを設立しました。
いじめが教えてくれた、人の幸せ
−−JYMを立ち上げた当初、野望や目標はあったんですか?
んー、正直、大きな野望を持って創業をしたわけではなくて。でもコアには、こういう思いがあります。
関わる人が幸せになってほしい。その幸せを継続させたい。
JYMという存在が関わる人にポジティブな影響を与えて、みなさんの幸せな状態を継続させたいんですよ。
−−人の幸せに関わる、そこに至るきっかけはありますか?
んー、それは幼少期から学生時代の経験が影響していて。実は、保育園から大学まで、いじめられていたんですね。結構ガチめに。
大人になって、その原因を振り返ると、“ボタンのかけ違い”だったんじゃないかなって思うんですよ。
−−いじめを受けたことが、幸せを意識するきっかけになったと。
きっと世の中で似たようなことは、いじめ以外にもあって。優劣とか良し悪しみたいなものがボタンのかけ違いで発生することがある。
それで幸せを感じられなくなることを、自分は身をもって体感してきたんです。だから、関わる人には私のような思いはしてほしくないし、幸せになってほしい。
橋本を知るキーワード①コミット力
−−橋本さんのことを表すときに、数字に対する圧倒的なコミットがあげられます。数字を追い求める理由を教えてください。
関わる人を幸せにしたいってエゴじゃないですか。エゴは力がないと実現できないし、力をわかりやすく言い換えると「数字(売り上げ)」だと思うんです。
もっと力を付けていきたいと思ったときに、数字が必要だ。数字をとことん追い求めていった結果、コミットする姿勢が強くなったのかなと。
−−そこまで数字を強く思うようになったきっかけはあるんですか?
2社目の会社でマネージャーをしていたときに、複数の部署を横断して見ていたので、管理がうまくいかなかった。そのとき、ある社員がこんなことを言って辞めていったんですよ。
「よすけさんのせいで、こんな組織になっている」
私に力がないから、人も組織も不幸せになっている。その現実を突き付けられたことがきっかけですね。
−−決して、マネジメントだけの責任ではないと思います。
リーダーシップを取りたいと思っても、環境によってうまくいかないこともあります。それでも、数字がなければ、人はついてこないし、先導することもできないと痛感させられました。
橋本を知るキーワード②ロジカルシンキング
−−もうひとつ、橋本さんに対して、ロジカルというキーワードもよく出てきます。
私のコアには、関わる人が幸せになってほしいという思いがある。それを実現するには、数字が必要。さらに、数字を求めるには、ロジカルが必要なんですよ。
目的達成のために何が必要かを考えた結果です。
−−ロジカルと感情のバランスをとるのは難しくないですか?
それは本当に難しい。これまで目的達成のために、何度もロジカルと感情を天秤にかけてきました。
ロジカルな思考で、わかりやすく整理したり、伝えたりすることが目的達成の近道になるなら、それは必要。そういう時は、感情を抑えるようになりました。
−−JYMのある社員は、「橋本さんがロジカルな思考でキャリアの在り方を整理してくれた」と、感謝していました。
社員が描いている未来に対して、JYMが関わることでちょっとでも近づけたらいいなと。何かその人のプラスになりたいって常に思ってます。
JYMは、幸せのきっかけが見つかる場所
−−創業から4期目に入っていますが、会社がどう変化していると感じていますか?
ボードメンバーを中心に、JYMを主語として語ることが増えてきました。創業して間もないころは、「俺たちは」っていう言葉で話すことが多かったけど、仲間が増え、思いが共有されていくなかで「JYMは」っていう言葉に変わっていきました。
幸せになる人を増やしていくには、主語が大きくなるべきだし、それが自然になっていったことは嬉しいですね。
−−これからJYMをどんな会社にしていきたいですか?
1,000人、2,000人の規模で、多角的に価値を提供できる会社をつくっていきたい。
決して優秀な人ばかりじゃなく、いろいろな人がいていい。多様な人が集い、それぞれの幸せを共有できる会社をつくっていきたいですね。
−−最後に、JYMへ興味を持っている方へ、メッセージをお願いします。
JYMは、あなたの幸せのきっかけになりたい。JYMの社内にはいろいろなきっかけがあって、そこに、あなたが求めるものが含まれているかもしれません。まずは、気軽にお話しができると嬉しいです。